優しさを確認された日

4歳の冬 息子は幼稚園から帰宅して
「ぼく やさしいよな」と聞いてきた

 

どうした?何かあったか?
そう思いながら 
「とっても優しいよ」と返事をいた

 

すると息子は
「サンタさんくるな~」と
にんまりした( ̄▽ ̄)

 

優しさを確認された日
それは下心が芽生えた日でもあった

 

 

気候の話題が怖かった

めっきり秋らしい気候になってきた

 

気候お天気の話題は定番
何気に話せるからいい

 

しかし感じ方というのはそれぞれで
「暑いね」「寒いね」くらいならいいが
「じめっとしてきたね」
「大分春めいてきたね」
このくらいになるとドキドキする

 

「そう?そんな事ないよ」とか
意外に皆さん思ったことを発言される
それを聞いては
「違ったか」と
なぜか自分の感覚を否定する

 

あと気候天気にはいろんな表現があるから
「あー無知だなー」と自分にがっかりする

 

一時期は何気ない話に
何気なくついていけるように
天気予報を見入っていた
何個も何個も翌日の天気や季節の話題を聞いた

 

今はそんな事はしていない
自分の感覚でいいし
人が違うことを言っても
「そーなんだー」で終わればいい

 

白黒つけなくていい
どれが正解で
どれかが間違いというわけではない
悪者をつくらなくていい

 

自分は普通の家庭で育っていない
そう思って 頑張って頑張って
人並みになろうとしてきた

 

自信が欲しかった
違うことが怖かった

 

でも その考えであればある程
現実は人との違いをみせにくる

 

少しずつ少しずつ
手放していく
自分自身をゆるしていく
ゆるませる
イメージをする
それだけで充分

 

 

子供の寝言

日中バタバタ過ごし 
ようやく寝る子供の顔をみて
愛しいなと思いながら
その日楽しかったなとか
怒りすぎたなとか
一日を振り返る

 

家族みんなが寝静まったころ
「もー!#$%&*#%$」と何やら夢で怒って
キックをする息子

 

違う日は
「うふふふふふー」笑っている
たまに大笑いしてたりする

 

とっても小さなころから
寝ているときも喜怒哀楽をしっかり出す子

 

それを見て
笑っていれば 楽しかったんだな
楽しい夢見ているんだな
怒ったり悲しんでいれば
日中怒りすぎたから夢にまで出ているのかな
やばい どうにかしなきゃと焦る

 

一つ一つに反応し考え込む私
夫婦喧嘩をした日の夜
息子は寝ながら怒り散らいていた
いつか息子が病んでしまうかもしれない
そう思い病む私 負のスパイラル

 

子供が起きてても 寝ていても
アンテナ張りっぱなしだった

 

でも ある夫婦喧嘩をした日の夜(喧嘩しすぎはさて置き)
寝ている息子は大笑いして楽しそうだった
それを見て 固くなっていた心が緩んだ

 

そして 関係ないなと思えた
なんでも 関連付けなくていい
意味を持たせなくていい

 

もうそれぞれの世界で生きている
何でもかんでも 関わらなくていい
関わろうとしなくていい
関われないことの方が多い
関わらなくても この子は大丈夫
そばにいる

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先日息子は久々に体調が悪くなった
その夜は大層暴れていた
横に寝ていた私はベット下に避難した

 

その事を翌朝話すと
そんな事をした覚えはないけども
体のばい菌と戦って勝つことをイメージして寝たという
夢の中で必死に戦っていたのだろう
そういえば「やーめーてー」と叫んでいた(^^;)

 

やっぱり この子は大丈夫☆

 

 

答えが欲しい

分からない 分からない
どうしたらいいの?何が正解?
分からない 誰か教えて

 

分かってもらわなきゃ
こんな私を分かってもらわなきゃ

 

伝わらない 言葉がたりなかった?
態度がちがった?どうしたらいい?

 

食べ物でさえ 何を食べればいいのか
何を食べなければいいのか
3食?2食?1食?不食

 

教えてよ 分からない
何で皆分かってるの?

 

楽しそうな 幸せそうな
そんな人たちに合わせる
同じようにしていれば
そんな風になれるよね

 

なれない 分からない
もう どうすればいいんですか

 

 

ぬいぐるみを戦わせるぞ

7歳の息子は
まだまだ ぬいぐるみが好き

メインは3びき
寝る前は抱えてベットに連れていき
起きる時は抱えて下りてくる

溺愛しているものの
男の子なので扱いは荒くたい

例えば
ラップの芯を持ったかと思うと
普段は「ヨチヨチー」なんて言って
撫で撫でしているぬいぐるみを
野球の球として打つ

ひどすぎる…
本人は「ホームラン!」と喜んでいる
大丈夫かと不安になる

ある日
メイン3匹のぬいぐるみ達を持ち
「これから戦いを始めます」と言い
見ておくように言われた

洗濯物を畳みながら
なんとなーく横目で見ていた

太っちょ猫が飛び蹴りキック
「何をするんだー」と蹴られた方が言う
「次はパンチだー」
「やめてよー」
「ボクもパンチするよ」
「やめてよー」
「それならしないでよ」

「あれ?戦いじゃなくて話し合いになってる」
そう息子は気づきました。

あー 平和 

 

怪しい当選

20歳頃の私は兎に角、一人暮らしをしよう!しなくては!そう心から思っていた。

まず初期費用を貯める。他にどういう事が必要か色々調べ始め生活のリアルを知っていく。

周りの友達はオシャレにお金をかけドンドン可愛くかつ大人っぽく変化していく。でも私はオシャレにお金は使えない。自分の暮らしをまず確保しなくてはならない現実がある。友達への羨ましさ生まれた環境への悲しさと苛立ち、それらを抱え自分でやっていくしかないという気持ちを奮い立たせていた。



ふとメールを確認すると飛び上がるほど嬉しいメールが届いていた。

『当選』ネックレスが当選しました!

「何か応募したっけ?」と正直思った。しかし宝石店のネックレスだ。こんなチャンスはない!喜びが勝った。

 

当選した品は送られてくるのではなく、お店に受け取りに行かなければならなかった。しかも事前に日時の予約を入れなければならない。駄菓子屋で『当たり』が出て引き換えに行くのとは訳が違う。そこには何かがあるから。だけど必死な私は即予約を入れた。

 

当日駅前まで迎えにきてくれると言うので驚いた。「なんと親切なことでしょう」世間知らずな私は意気揚々と待ち合わせ場所に行った。到着した旨をメッセージで伝えるとすぐに黒いロングコートを着た「夜のお仕事の方ですか?」という若い男性が現れた。「とっても苦手だ。一緒に歩きたくない。」そう思い一瞬怯んだけれどネックレスを頂かねばとお店へ向かった。

 

お店に入ると小さなテーブルと椅子が並んでおり、外が見える席に案内された。初めての宝石店、大人気分でウキウキとドキドキが混在していた。少しするとプレゼントのネックレスを持ってさっきの男性が現れた。「本当にもらえる〜」と嬉しくてたまらなかった。もう苦手なこの男の事なんてどうでもいい。ありがたい!ただありがたい!!感謝の気持ちでいっぱいになった。

心からお礼を伝え帰ろうとしたその時、折角だからと素敵な宝石の指輪を見せてくれた💍

指輪なんて私には似合わない。恥ずかしい。そう思って拒否していたはずなのに、上手に乗せられて気づけば指輪をつけていた。

 

うわぁ〜素敵・:*+.\*1/.:+

 

女性達が虜になる気持ちが少し分かった。指輪をつけるだけで女性らしくエレガントな気分になるのだ!私の女性らしからぬゴツゴツした手にも馴染んでいるように思わせるお店の雰囲気と男の口の上手さがそこにはあった。

 

そんな夢見心地な私に男が紙を差し出しながら話し出した。「月◯万円で買えるんだよ!こんな高価な物をこんな価格で買えるよ!一生物だよ」

 

シラける。ようやく本性出しよったな。今の私ならいくらなんでもここで気づくだろう。しかし、当時の私は実に可愛くおバカだ。

 

そうなんだ〜!思ったより手に入りやすいもんなんだぁ☆買えそうヽ(´▽`)/うっとりしていた。

 

だがその価格は一人暮らしの家賃代予算と変わらなかった。そこで我に返った!一人暮らしをするんだ!そんなお金はない!

 

即刻、素直にそれを話した。すると男は「一人暮らしを数カ月後に延ばせばこの指輪が手に入って一人暮らしもできるよ」と言ってきた。「なるほど、そういう考えもあるか〜」なんて思えるような一人暮らしへの思いではなかった。私は切実なのだ。

 

「一人暮らしをしてみた〜い☆憧れる〜」なんて甘っちょろいものではなく、家を出る!自分でやっていく!そう覚悟を決めている。そしてできるだけ早く家を出る。数カ月後とかそんな甘っちょろいことは言ってられない。諦めるなら目の前の美しい指輪でしかないのだ。

 

どう足掻こうが無理なものは無理なのだ。こういう思いはそれまでにもしてきている。ならばどうするかなのだ。

 

『ネックレスをいただいてこの指輪を目標にやっていきます!』そう宣言した。そしてネックレスを頂戴しお店を後にした。

 

自分の志しと頂戴したネックレスを胸に私はきた時以上に意気揚々としていた。

一人暮らしを実現させてもオシャレにお金はなかなかかけられなかった。しかしこのネックレスが友達と会う時の自信となった。もちろん指輪のことはすっかり忘れていた。元々興味がないのだ。


 

今思うとあれは『怪しい当選』だ。詐欺まがい?デート商法というやつ?そんな類なのかなと思う。もしそうだったのなら私は勝った!切実な思い、目的をしっかり持っていた事で私は少ししか惑わされる事はなかった!

 

それに、その事で『怪しい当選』が普通に『ありがたい当選』になったのだ。そしてその当選品が私の人と会う時の自信となってくれていたのだ。なんと素敵な事でしょう。

 

しかし店舗であまーい囁きと美しい指輪というのは凄い魔法だと思う。興味がなくてもその気になってしまうのだからおっそろしい。そこに負けなかったのは心の強さ!切実な思いがあったからかなと思う。そう考えると、生まれた環境があまり良くなかった事もいい方向に考えられる気がする。

 

結果論ではあるが、人生それでいいのだ(^-^)b

 

*1: °ω°

神仏に仕える方へのモヤっと

出先でまだ小さい息子が
修道女の服を着たおばあさんに
扉をあけて「どうぞ」をした

 

修道女はお礼を言うことはなく
当然といった感じで通り過ぎ
面食らった

 

なんで そうなる!?

 

普通のおばあさんではなく
修道女だっただけに
その思いは強く出た気がする

 


お盆や命日のお参りで
お世話になっているお坊さんは
言ってはいけないかもしれないが
読経と説法が下手である

 

私は仏教の学校出なので
低音の美しい読経を耳にし
仏教科の先生のその道らしさを感じてきた

 

だから余計に思うのだろう

 

なんで!?

 


双方 神仏に仕えるお仕事の方だけに
感謝を忘れず 精進し続ける
そんなイメージが根底にある

 

またそういう方たちに
モヤっとする事に どうよそれ
そんなものと思わないと
敬わないと
そう自分を責めてしまいそうにもなる

 

敬うって無理してする事じゃない
自然に敬う気持ちになっているもの
思っちゃうものは仕方ない
人間だもの

 

そう!それと同じで
修道女の彼女やお坊さんの彼も
人間だ 単なる人
『人の子』なのだ

 

あの装いをしていると
どうしても 神仏のつかいの様にみてしまうが
このように考え直すと納得がいく気がする

 

アドラーのいう
『人と人とは対等である』
これを忘れないようにしたいなと思うのでした

 

ところで うちの天使ちゃんである息子
天使ちゃんのやらかしを『人の子』と思い
納得いくことはない...(´Д`)

 

『人の子』というより
『我が子』だからかな