神仏に仕える方へのモヤっと

出先でまだ小さい息子が
修道女の服を着たおばあさんに
扉をあけて「どうぞ」をした

 

修道女はお礼を言うことはなく
当然といった感じで通り過ぎ
面食らった

 

なんで そうなる!?

 

普通のおばあさんではなく
修道女だっただけに
その思いは強く出た気がする

 


お盆や命日のお参りで
お世話になっているお坊さんは
言ってはいけないかもしれないが
読経と説法が下手である

 

私は仏教の学校出なので
低音の美しい読経を耳にし
仏教科の先生のその道らしさを感じてきた

 

だから余計に思うのだろう

 

なんで!?

 


双方 神仏に仕えるお仕事の方だけに
感謝を忘れず 精進し続ける
そんなイメージが根底にある

 

またそういう方たちに
モヤっとする事に どうよそれ
そんなものと思わないと
敬わないと
そう自分を責めてしまいそうにもなる

 

敬うって無理してする事じゃない
自然に敬う気持ちになっているもの
思っちゃうものは仕方ない
人間だもの

 

そう!それと同じで
修道女の彼女やお坊さんの彼も
人間だ 単なる人
『人の子』なのだ

 

あの装いをしていると
どうしても 神仏のつかいの様にみてしまうが
このように考え直すと納得がいく気がする

 

アドラーのいう
『人と人とは対等である』
これを忘れないようにしたいなと思うのでした

 

ところで うちの天使ちゃんである息子
天使ちゃんのやらかしを『人の子』と思い
納得いくことはない...(´Д`)

 

『人の子』というより
『我が子』だからかな